中学受験

中学受験終わりました2(不合格の苦しみ)

令和5年1月15日 日曜日

2日目の受験日です。
今日も午前と午後に2つの試験を受ける。
午前の試験は第5志望であり、ここは最終の滑り止め校として受験している。午後の試験は昨日の第3志望の結果次第で、第1志望校の2回目か、第3志望校の2回目のどちらを受けるか決定する。

本日の午前試験は家から近いので、昨日よりゆっくり出発した。また、昨日とは違い、子どもにも余裕が見受けられた。
試験場へ向かい受験番号を確認すると、昨年より受験者数が多かった。ここは大丈夫ということで、この学校対策はほとんどしていない。少し不安がよぎる。試験会場で別れ、家が近いので自宅に戻る。

第3志望校の合格発表の時間が迫ってきた。パソコンを開け、妻と一緒に見ることにした。合格の時は桜の絵が描かれているみたいやと割と気楽な気分で受験番号を入力し、結果を見る。

「不合格」との文字が出てきた。
「え・・・・」2人とも愕然とし、お互い何も話をすることができなかった。

入力間違いと違うかなと思い、再度受験番号を入力するが同じ結果である。今度はスマホからもと思い入力したが、結果は同じである。

「どうしよう」2人とも当初はここで合格を勝ち取り、昼から再度第1志望校の2回目の試験を気分よく受けようと考えていました。(第1志望校の合格発表は全て火曜日の昼です)それが不合格となってしまったことから、頭が真っ白になりました。

12月ごろからは第1志望は難しいかなと思っていました。また、第2志望校と第3志望校の学校見学を何度かしているうちに、当初に思っていたより第2志望校も第3志望校もよく思えて、この学校に通う子どもの姿を想像していました。
そのため、プレテストでA判定を取り合格可能性が高い第3志望校で早めに合格を勝ち取り、子どもの気分を乗らせ、第1志望校へ何とか合格をきめてほしいと思い試験日程も組みました。

第3志望校については数回試験日があるのですが、数回受けると加点もありますと明言されていたので、念には念をと思い2回の試験日を申し込んでいたことから、第3志望校は大丈夫であろうと変な安心感を持っていました。
しかし、「不合格」という現実に直面すると、頭の中で描いていた計画が見事に崩れ落ちました。

当初から、第3志望校が落ちれば2回目の第3志望校を受けようと決めていたにも関わらず、頭がまわりません。「どうしたらいいのか」「もしかして全落ちするのか」等いろんなことが頭の中をぐるぐる回っていました。

しばらく何も考えられませんでしたが、子どもの試験が終わるまでに次の行動をどうするか考えなければならないため、家族で相談しました。
妻と娘は予定通り第3志望の2回目を受けようと言いました。しかし、自分は子どもから「再チャレンジしたい」と直接聞いたことから、ダメでも第1志望校の2回目を受けさせてやりたいという気持ちになっていました。
第3志望校が落ちた今、第1志望校の2回目が受かる確率はほとんどありませんが、今後の人生の中で再チャレンジしなかったことをずっと悔やむのではないかと思いました。
また、中学受験は人生においては通過点であり、全落ちしても仕方がない。チャレンジする心が大切であるといった強気の心がなぜかこの時、頭の中の考えを占めていました。

家族内で意見が分かれました。
迷いました。

最終、第3志望が落ちた事実を改めて子どもに伝え、本当にこの状態でも第1志望を受けるのかどうか、子どもの最終の気持ちで判断することにしました。

子どもを迎えに行きました。出てくると同時に今の試験のことより「昨日の試験の結果どうやった?」と聞かれました。
しかし、話を別の話題に変え、妻が待っている車に乗りました。車の中でも昨日の試験結果を何度も聞かれるので、車の中で「不合格」と伝えました。ショックを受けたと思いますが、それほど顔の表情には出なかったと思います。(あまり表情を見ることができなかったです)

家に帰ってから改めて「不合格」の現実を伝え、今日の昼から第1志望校の2回目か第3志望校の2回目のどちらを受けるか確認しました。

「第1志望校の2回目を受けたい」と言いました。
第3志望校が落ちた今、第1志望校の2回目は1回目より受験者も多く、合格最低点も上がるので、受かる確率はほぼないと思うが本当に第1志望校を受けるのか。また、第3志望校が落ちたので、最終第5志望校に行くことになるかもしれないとも伝え、それでもいいのかと再確認したところ「第1志望校を再チャレンジしたい」と言いました。
妻も何か言いたそうにしていましたが、第3志望校を受験するような誘導尋問になるかと思い、これ以上聞くことは辞めることにして「わかった」と伝えました。

「ところで今受けた第5志望校の試験の出来はどうやった?」と確認すると、「国語の長文を半分ぐらいしか書けなかった」とか「算数は全問解けなかった」と言い、少し不安がよぎりました。

第5志望校については、当初受験しようかどうか迷ったのですが、ちょうど他の受験校と日が重なっておらず、また家から近く、偏差値的には余裕があったので最終の滑り止め校として受験しました。(第5志望校さん、生意気なことを言ってすみません。)

第5志望校のプレテストでは算数が9割以上で国語も6割ぐらい取っており、まず大丈夫と思っていたのですが、受験勉強していない受験科目も受けなければならなっかたので、少し不安はありました。

第3志望校が落ちた現実がある今は、第5志望まで落ち、「全落ち」になるのではないかという不安がかなり大きなウエイトを占めるようになっていました。

いろいろな考えが頭の中をぐるぐる回っていましたが、本人が第1志望校を再チャレンジしたいと意気込んでいるのですから、最後のフォローをしなければならない。

昨日とは変更し、電車で行くことにしました。電車に乗りながら、このルートで毎日通うことができればいいなと思っていました。
一方、子どもは今までとは違い、電車の中でも勉強をしていました。今までは電車の中で勉強することもなく、テスト会場まで参考書等を持っていたこともないのに、よっぽど昨日のテストが悔しかったのだろう。
もう少し早く自分からやるきを出してくれれば、結果も違ったものになったかもしれないのに。それともこのやる気の勢いで2回目のテストで合格するのではないかと甘い期待もしてしまいました。

試験会場につきました。
1日目とは違い、受験者数が多いので試験会場が体育館になっていました。
問題だけに集中しろと言い、祈るような思いで肩をたたき、見送りました。

さて、昨日と違い、車がないのでどこで待とうかと考えたのですが、じっとしているといろんなことが頭に浮かび、堪え切れなったので、再度家に帰り、車で来ることにしました。

校門を出て再度学校を振り返る。5年生の頃からオープンキャンパス等で何度か来たが、今日が本当の見納めになるのだな。昨日の時点では、まだ明るい気持ちで今日の試験を受けるつもりでいたのですが、この学校の本当の最後の試験になってしまう。

5年生から塾に通わせましたが、当初よりこの学校が第1志望で目標にしてきました、しかし、ほとんど無理だと予想される今、子どもにとって本当に中学受験させて良かったのか。友達と遊びたいと言っていた時も我慢をさせ、好きなこともかなり制限して、子どもに対してきついことも言ってきた。
確かに世間一般の中学受験をしている子どものように自分から進んで勉強はしませんでした。しかし、中学受験をしていない子ども達よりは十分に勉強はしている。
「本当は勉強よりもっとスポーツをさせたかった」
「高校受験からでよかったのではないか」
「全落ちしたら、何のために今までいろいろなことを我慢させてきたのか」
「全落ちした場合、子どもは耐えることができるのか」
「いろんなことを我慢させ勉強した結果がこれか」
「中学受験をさせてよかったのか。」

自宅へ帰り、再度車で第1志望校へ向かう中、いろんなことを考えてしまいました。
本当にしんどい。こんなに中学受験が大変とは考えもしなかった。

姉(長女)の時は、今回ほど中学受験に関わっておらず、また弟よりも成績がよく、なぜか受かるという自信があったので2校しか受けておらず、そして2校とも受かったので、今回のような苦しみは感じませんでした。

しかし、「不合格」を見てからのこの苦しみ、全落ちするのではないかという不安、何をしようにも身が入らない。早く脱出したい。
そのためには「合格」が欲しい。どこでもいい。とりあえ合格がほしい。そのようなことしか考えることができませんでした。

試験が終わる時間が近づいてきました。昨日の終了時間は昼間であったが、今日は夜のため、あたりは真っ暗である。終了時刻が過ぎて少し待ってから向かうと、保護者でいっぱいであった。
受験者数が多いので子どもたちが出てくるが、多すぎてなかなか自分の子どもを見つけることができない。

やっと見つけた。「どうやった?」と確認すると「算数が難しかった。しかし国語はめっちゃ頑張って、昨日よりできた」と言った。算数ができなければおそらく国語で合格点を取ることはできないので、不合格であろう。第3志望校を受けさせればよかったのかなという思いが頭をよぎったので、「第1志望校の再チャレンジでよかったのか」と聞くと、「うん。これでよかった」と言ってくれた。

帰りは昨日と違い、車が多く、駐車場から外へ出るのに一苦労であった。帰り道の車の中で、塾の同じクラスの子が7人いたと言っていた。塾のクラスの中では下位なので、7人も自分の子どもより成績が良い子が受けていることがわかり、ますます合格はできないだろうと確信してしまった。

明日は第2志望校である。不安が高まってきた。

ABOUT ME
isshyda
定年が近づいている50代のサラリーマンです。最近小学生の息子の中学受験がやっと終わりました。本人が一番苦しかったと思いますが、親も苦しみました。しかし、中学受験をとおして貴重な経験ができたと思っています。その時の親の心情を掲載しましたので、良かったら読んでください。